ひまわり号歴史

「列車に乗ってみたい」「旅をしたい」という障がい者の切実な願いを実現させようと専用列車を走らせたのが「ひまわり号」運動の始まりでした。

1982年「ひまわり号」が上野駅(東京都)~日光駅(栃木県)の間を走りました。
このことは、全国的に大きな反響を呼び、そして、翌年1983年には、東京都(2)、千葉県、群馬県、京都府、広島県、愛媛県(2)、福岡県の全国9ヶ所で「ひまわり号」が走りました。 
その後、「ひまわり号」は年々大きく全国各地に広がり、2000年には北海道から九州まで全国で68実行委員会が活動するようになりました。

ひまわり号の活動は、多様な交通機関で障害者や交通弱者に対する認識も広がり、いろんな方面で施設の改善や多くの人々の理解も深まり、障害者への対応の仕方などに大きな変化をあたえました。

全国各地の「ひまわり号」の実行委員会があるところでは、障がい者も利用できるトイレの設置や、スロープの設置、改札口の改善がされたり、地域における住民たちの障がい者にたいする理解やボランティア活動への積極的参加がなされるなど、バリアフリーへの道が開け始めてきています。

行政機関や企業などでも施設の改善や、利用しやすいように工夫するなど社会の仕組みの変化となって表れてきています。